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高齢者の『性』の捉え方を文学から学ぶ

6.高齢男性の『性』捉え方を文学から学ぶ

「高齢者の性」についてどのように捉えているのか、文学の世界から23取り上げてみたいと考えます。老人の性を描いたものには、谷崎潤一郎の「鍵(1956)」、「瘋癲老人日記(1962)」や川端康成の「眠れる美女(1961)」に代表されているようですが、渡辺淳一の「失楽園(1997)」から男性の視点で捉えてみたいと思います。

6-1.渡辺淳一の「失楽園」からみる高齢男性の捉え方

渡辺淳一の「失楽園」に男性の性の捉え方の鍵が隠されています。参考に特徴的なところを拾い上げてみます。

ある出版社の編集の第一線から閑職の調査室配属を命じられた久木祥一郎(54歳)の前にカルチャーセンターで書道の講師をしている松原凛子(37歳)という美しい人妻が現れ、“楷書の君"と呼ばれているほど折り目正しく淑やかな女性に恋い焦がれていく久木との不倫関係を描いた物語です。

①受動より能動のほうに、男としての生き甲斐を見出していく

メスに比べて本質的に性の快楽自体が薄いオスは、自らの快楽に浸るより、相手が満ちてのぼり詰めていく、その経過を確認することで満足し、納得する。とくに久木(54歳)の年齢になると、若者のように荒々しく求める気持ちは薄れ、むしろ相手に悦びを感じさせ、満ちて果てさせる、その受動より能動のほうに、男としての生き甲斐を見出していく。相手だけに一方的に心地よくさせて、それで満足できるのかと、首を傾げる女性もいそうだが、はじめからお前は能動で導く側と決められていると、それはそれなりに腰を据えて楽しむ方法もある。

たとえば凜子(37歳)のように、初めは慎ましやかに、楷書のようにきっかりした女が、さまざまな拘束から解き放たれ、悦びを知り燃えていく。そしてさらには、一人の成熟した女として奔放に振る舞い、ついには深々と淫蕩な世界に耽溺する。それはまさしく女体が崩れていく過程だが、同時に女体が秘めていた本然に戻る姿であり、その変貌を見届けることほど、男にとって刺激的で、感動的なものはない。

その経緯をつぶさに見れば、人間が、女性が、そして女体が、どのようなもので、そのなかになにを秘め、どのように変わるのか、その実態を軀でじかに感知することができる。

ポイント:若者のように荒々しく求めるのではなく、相手に悦びを感じさせ、満ちて果てさせることが大切なことではないでしょうか。

② 鏡像効果(ミラーリング効果):「男もそれに煽られ、追いかけて…」

だが、観察者や傍観者として得られる悦びにも、自ずから限界がある。いかに自らは性の開発者で観察者だといったところで、性が軀と軀で接がり、結ばれている以上、一方だけが受身で一方だけが能動などということはありえない。たとえ仕掛けは男が企んだとしても、女がそれを感じて燃え上がり、走りはじめれば男もそれに煽られ、追いかけて、気がつくと男も女も無間地獄のような性の深みにどっぷりと浸かっている。

快楽へのぼり詰める道筋は違うといっても、ともに離れがたく思っている以上、一方だけが地獄へ堕ちるなどということはありえない。

鏡像効果とは相手の反応をみて自らも応えて昂ぶりを示し、それが相手にもつながってお互いにたかめあっていくことを意味しています。

渡辺淳一『失楽園(上)』、株式会社講談社、199737日、第3刷発行、4142頁より

③ もともと性の快楽そのものが薄い男達

もともと性の快楽そのものが薄い男達は、行為そのものより、それに関わるさまざまな反応のほうに関心を抱く。それは愛する女性の燃えていく姿であり、声であり、表情である。それらが万華鏡のように変化しながらゴールを目指して駆けていく。それを知り、実感してこそ、男ははじめて軀と心と両面から満たされていく。

この求め方は、例えばさほど内容のないものに様々に付加価値をつけて、売りつける商法に似ているかもしれない。単純な快楽だけでいえば、男のそれは女性には敵わない。いまだ性的に開発されていない女性ならいざ知らず、豊かに成熟した女性なら、男とは比較にならぬほど強く深く強く感じていく。そのハンディキャップを埋めるために、男達はこれらの付加価値でカバーしていくよりない。

渡辺淳一『失楽園(上)』、株式会社講談社、199737日、第3刷発行、7172頁より

④ 男の高ぶり自体が大脳と密接に関わり、きわめて精神的なもの

性に関わることは、ただ若ければいいということではなさそうである。もともと男の高ぶり自体が大脳と密接に関わり、きわめて精神的なものであるだけに、怯えや不安や、自信喪失などがあっては、ことはスムーズに運ばない。

若いときは体力はあっても、往々にして、その種の精神的な自信に欠けることがある。

それは久木自身にも経験があって、かって入社したころ、5歳年上の女性と際き合っていたことがあった。彼女は新劇の女優の卵で、新宿のバーで働いていたのだが、以前は芸能界でもプレイボーイといわれたプロデューサーと関係があったらしい。もっとも男とはすでに別れていたが、いざ彼女と結ばれる段になって、その男のことが久木の脳裏に甦ってきた。

困ったことに、男は面子とか意地とかいうものにとらわれ易く、女性を抱く以上は、前の男より巧みで、よかったといわれたい。

だがそう願い、そう努めようとすればするほど焦り、萎縮してしまう。

男達がよく、「男のほうがデリケートだ」というのはそのあたりのことで、なまじかな若さより、女性に対する安堵感や自信をもつことのほうが、はるかに大事で有効である。

久木がその女性と接したときもそうで、気ばかり焦るが肝心のものが役に立たず、容易に行為に移れない。いわば、想像のなかのプレイボーイに、若さの肉体が負けたのである。

もっともそのときの女性の対応は、いま振り返っても見事で、萎えて焦っている久木に、「大丈夫よ」といいながら、自信をとり戻すまで優しくつき合ってくれた。

⑤男も女によってつくられる

それにしてももしあのとき、彼女が退屈そうな顔をしたり、冷ややかな言葉を投げかけたら、久木も若くして自信を失い、性的なコンプレックスに悩むことになったかもしれない。

その点では、男も女によってつくられる。あるいは、育てられるというべきかもしれない。

 十分満足させたという、リード役としての喜び

いま、久木が凜子を燃え上がらせている原動力も、元をただせば、そうした女性達に育まれてきた結果、といえなくもない。

女性とともに果てるのもいいが、女性がのぼり詰めて先に行くのを見届け、実感するのも悪くはない。前者は自ら快楽に溺れる悦びだが、後者は、愛する女(ひと)を快楽の花園へ送り届け、十分満足させたという、リード役としての喜びがある。

渡辺淳一『失楽園(上)』、株式会社講談社、199737日、第3刷発行、7576頁より

 女の性感は男によって触発され、開発されていく

それというのも、もともと女の性感は男によって触発され、開発されていくようである。いいかえると、男が近付き、刺激しなければ、女の悦びが目覚めることはほとんどありえない。これに反して、男は生まれながらにして性感を身につけている。少年期、なぜともなく股間のものが蠢き出し、触れるだけで心地よく、自ずと自慰をおぼえて激しい快感とともに射精する。

その過程において女性の手助けは不要で、しかも、その快楽は、現実に女性と接して得る悦びとさほど変わらない。むろん同じとはいえないが、下手に、面倒な女性と接するくらいなら、一人で楽しむのも悪くはない。精神的なものはともかく、単純に快感だけにかぎれば、女性に導かれて目覚めるという類のものではない。

要するに、男の性が初めから一人立ちしているのに対して、女のそれは、しかるべき男性に開発され、啓蒙されて、ようやく一人の成熟した女性となっていく。

渡辺淳一『失楽園(上)』、株式会社講談社、199737日、第3刷発行、220221頁より

6-2.老いのセクシュアリティ

山折哲雄氏は『旧約聖書』の列王記上第1章第1節~第4節によると、「晩年のダビデ王は老齢のため服を重ね着しても体が温まらなくなったため、臣僕たちはダビデに若い処女を抱かせて体を温めようと考え、イスラエルの四方に美しい処女を求めたとあります。その結果、見いだされたのが、シュナミの美少女アビシャグを得てダビデに侍らしてそうでしたが、王は性の交わりには至らなかったという箇所を引用しています。

「王を暖める乙女の夜伽の話と、その美しく若い処女のからだを遂に知ることがなかった王の老残の姿には、たんなる夢物語のシーンを超えるような確かな手触りがある」と語っています。

森崎和江史は、『老いのセクシュアリティ-女にとってのいのちと性-』の中で、次のように引用しています。「…とある年配の女性を訪問した。彼女は一心に祈っていた。ときおりその声が高くなる。『…72歳の女の悩み、どうか、おききとどけを…』え!私は虚を突かれた。72歳の女ですって?72歳って、女なの。そのとき私は18歳。以来、老女に出会う旅を始めた。30代で亡くなった母のトシを、私は老いた女と思っていたふしがあるのだから。…」(岩波講座 現代社会学 第13巻『成熟と老いの社会学』、東京、1997

6-3.伊藤整が語る「高齢女性の性」

伊藤整は、岩波書店が発行している文学誌「世界」に19671月より老年の性を取り上げた『変容』を発表して話題となりました。還暦に近い日本画家の瀧田北冥の物語ですが、女性が60歳を過ぎても充分に性的に活発であり、男性は老年になってもなお、年上の女性に魅力を感じ60半ばの女流歌人、伏見千子について語っています。

「その豊かな崩れかかった身体の中に、深い層をなした思い出を生かし保っていた。人の姿や出来事の記憶、さまざまな機会の涙、怒り、笑い、情感が、遠い過去の反響としてその内部に醗酵し、美酒として満ちていた。多くの老女たちが魅力を失うのは、その精神の枯渇によるのだ。彼女らは生活を恐れて枠にはまり、乾ききってしまう。働きのない夫にしがみついた寄生虫となり、子どもたちの家庭のあまされものとなる恐怖や、少しばかりの財産への執着などに縛られて萎縮するのだ。伏見千子のように、師として歌人たちに取り巻かれ、自分の発表機関を持ち、文筆家として生活していると、その過去の総てが生きて、豊かな人間としての魅力になる、と私は思った」と魅力ある高齢女性を語っています。

また、65歳の舞踏家、前山咲子について、次のように語っています。

「私は老婦人の前山咲子が踊ったときに見せた強い色気を不自然だとは思わなかった。彼女は私より五つ年上であるが、その白髪が銀色の艶を帯びているところは伏見千子を思わせた。伏見千子は、背が私ぐらいあり、胸も厚く、腰も大きく、圧倒するような力ある裸身を開いて見せた。銀狐のように白さを点綴したかくしげに包まれたその暗赤色の開口部は異様に猛々しかった。いま私たちの前で踊り終えた前山咲子は、昔の印象とはちがい、もっと小柄で、その四肢も華奢であった。しかし、その小柄な丸みを帯びた身体の動きは、蝸牛か栄螺のような強く収斂する体質を思わせた。…舞踊のきびしい動作の中にその肉体を鍛えあげ閉じこめたかのように別な存在に見えた」と高齢女性の魅力ある肉体的特徴についても語っています。

7.最後のセックスのすすめ

1987310日付の毎日新聞の家庭欄に『“最後のセックス”のすすめ』という見出しの記事があった。それを紹介してみよう。

「人が死に臨むさいの最後の意識は、一番身近な人に『そばにいてほしい』欲求だという。夫婦なら、夫婦でしか触れることのできない“ぬくもり”を与えることが大切ではないか。ひとつのふとんの中でぬくもりを感じ合うことが『一人ではなかった。生きていてよかった』という確認ではないか-と“最後のセックスのすすめ”を説くのは、東京・中野区立堀江老人福祉センター主査、大工原秀子さん(54)。大工原さんの提唱による『性と死を語る会』が、このほど開かれた」と書かれてあった。

68歳の中沢さんは、82歳の夫を看病中だった。子どもがなく、最後まで自分の力で看取りたい、として大工原さんの指導を受けていた。その指導とは、皮膚を通しての最後の夫婦関係をなさったら、ということで、具合が悪い時は、しっかり抱きしめてあげてくださいと。性行為じゃなくても、性器は若いころからのいろいろな思い出がありましょうから、夫婦でしか触れられない性器へのぬくもりは最後のセックスですよ、というものだった。

とても印象的な教えだったので、最後の引用文として掲げてみました。

南日本新聞社編:「老春の門‐輝け!高齢化社会」株式会社ミネルヴァ書房、京都、1985415日発行

渡辺淳一『失楽園(上)』、株式会社講談社、199737日、第3刷発行

編集委員・井上俊他:『成熟と老いの社会学』岩波講座「現代社会学」13巻、株式会社岩波書店、東京、1997210日、第1刷発行

伊藤整:「変容」岩波文庫、96-2、株式会社岩波書店、1994616日、第4刷発行

大工原秀子:「老人の性」(株)ミネルヴァ書房、京都、1979525日、初版第2版発行

大工原秀子:「性ぬきに老後は語れない(続・老年期の性)」(株)ミネルヴァ書房、京都、1991110日、初版第1版発行

石川弘義、齋藤茂男、我妻洋(共同通信「現代社会と性」委員会):「日本人の性」(株)文芸春秋、東京、198461日、第一版

総編集:武谷雄二:新女性医学体系21生殖・内分泌部門:担当編集:麻生武志『更年期・老年期医学』(株)中山書店、東京、2001930日、第一版

 

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